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お育ちのいい夫にてこずる妻日記。エコだったり毒舌だったり。

2024-12

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中学生の時、おいらは英語が大好きでした。

ある日インターナショナルスクールで夏休み講座があることを知りました。

確か受講料は4万円以上しました。

今考えても高額だと思います。

おじいちゃんは何も言わず、そのお金をくれました。


生まれて初めて接するネイティブの英語は、

おいらの概念を覆すものでした。

一週間ほどの短い講座での上達はさほどではなかったと思いますが、

英語への取り組み方はそこで大きく変わりました。


今ここドイツで、たいした不自由なく英語を話せたり、

英語の基礎があるからこそドイツ語が早く身についたことを考えると、

おじいちゃんがおいらにくれたのは4万円というお金ではなく、

生きて行くための知恵そのものでした。



おじいちゃんがくれたものが、

知らないうちにおいらたちを作っているのだと、

今日初めて気づきました。


おじいちゃん、ありがとう。


おいらはおじいちゃんになにかお返しできたのかな。


最期のお別れもできない、

お葬式にも行けない孫で本当にごめんね。

子供ができて

お父さんやお母さんの気持ちが初めてわかったみたいに、

おいらに孫ができたら、

おじいちゃんがどんなふうにおいらたちをみていたか、

どんな孫なら誇りに思ってくれたかわかるのに、

それは随分先のことになりそうです。



でも、おじいちゃんが喜んでくれることはわかるよ。

みんなで賑やかに美味しいものをたべること。

焼肉がいいね。

おじいちゃんが噛み切れる柔らかい上等のお肉。



ゴウにおじいちゃんのことを話したら、

「ばあばあちゃんと一緒にいるの?」

と言いました。

そうだよ、とおいらは答えました。


おじいちゃん、おばあちゃんによろしく。

きっと耳はよく聞こえるだろうから、

いろんな話をしてください。



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四人いたじいちゃんばあちゃんが、全員いなくなってしまった。














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おばあちゃんの遺品を、少しずつ整理しているらしい。

妹が、おばあちゃんの、最新版広辞苑を欲しがった。

母が、それを却下した。

「おばあちゃんが、あいざぁに、って言ってたから」




おいらは昔から、なにかというと辞書を引く子供だった。

わからない言葉を親に聞くと、

いつもごまかされたり、あいまいにされたからだ。

辞書は明確で、仮にその説明文がわからなくても

さらにページをめくればいいという、至極便利なものだった。




うちは貧乏なので

一家で使っていた辞書は、父の使い古しのものだった。

小学校5年生の時、

ある絵画コンクールで入賞し、

おいらは賞金を手にした。

自分で稼いだ初めてのお金で、おいらは広辞林を買った。

広辞苑が欲しかったのだが、

それは賞金よりも数千円高かった。

広辞林は千円ほど足せば買えたし、

広辞苑より薄く、引くのが楽そうに思えた。




おいらは毎日のように辞書を引いた。

ある日、おばあちゃんがおいらの広辞林を見て、驚いた。

一年も経たずにボロボロになった辞書を、

おばあちゃんは「これが辞書のあるべき姿」と言った。

美しく書棚に置かれただけの辞書は惨めだと、

その後何度もおいらに繰り返した。




おばあちゃんは綺麗好きで、

おいらの辞書を見るまでは、

辞書が傷むのがいやで、カバーをつけようかと、

本気で考えていたらしい。

新しい広辞苑を買った後、

「あいざぁの辞書みたいにはならないわね」と

よく言っていた。




「この辞書は、あいざぁが使ってね」と、

いつだったか、直接言われたことがある。

「ボロボロにして」

と、おばあちゃんは笑っていた。

もうおいらは大人で、

丁寧に辞書を引くことができる。

あの頃のように、おもしろがって

ばたんばたんと音を立てることはしない。

おいらが大切に使って

ゴウがボロボロにしてくれたらいいな。

それがきっと、おばあちゃんの喜ぶ使い方だと思う。



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重い辞書をばたんばたんとめくるのが、すごく楽しかった、あの頃。



おばあちゃんが永眠しました。

そのことがあって、少々、ネットから離れていました。

なんというか、そうだなー、なんていったらいいのかな。

感謝しかなかったです。

悲しいとか、日本に戻らなかった後悔とか、ショックとか、

そういうのはなくて

心から、ありがとうと思いました。




実は、おばあちゃんがかなり危険だと、

亡くなる一週間前に姉から連絡があり

マンジロウに日本に帰るよう言われました。




もし帰ったら、

おいらは、おばあちゃんの死を待つんじゃないかと、想像しました。

一日でも長く、と願うのは、おいらにはナイ選択肢で。

早く楽になってほしいと思うのは、おいらっぽいんですが、

「いつドイツに戻れるかな」と、ほんの一瞬でも思ってしまったら

おいらは一生、その事実に苦しむだろうと、思いました。




結局のところ、度胸がなかったわけです。

どんなに危なくなっても、おばあちゃんは一年以上生きそうな気がしたし

最後のお別れは、年末年始で、したつもりではあったし、

というかむしろ、元気なばあちゃんしか見てないことが

とても幸運だとも思ったし。




不思議なくらい、最後に逢えなくてごめん、とは思いませんでした。

ただもう、ありがとうって。

おいらのこと、大事にしてくれて、ありがとうって。

ずっとずっと、ずーっといてくれてありがとうって。

おいらは親からも愛されていたと思うけど、

おいらの親ってちょっと変で、

なかなか、愛情を疑わずにはいられない人たちなので、

一点の曇りもないおばあちゃんの、

掛け値なしの愛情は、きっとおいらの人格形成において

救いだったわけです。




やっぱりおいらがいないと、本は止まってました。

マンジロウの入院まではこまめにチェックしてたんだけど

もうすっかり終わって印刷に流れてるだろうと思い、

手を抜いた途端止まってたという。

本当にやる気のない編集だったな…。

止まったら連絡しろっていっておいたのに。




おばあちゃんは、装丁に悩んだり、

文字の級数や組みをいくつも見たり、

ノンブルを選んだり、

そういうことをしたかったんだと思う。

おいらはそれが一緒にできたから

本にならなくても、後悔はない。




弔電を打ったけれど、

結局式に間に合わず、

それに気づいた弟が連絡をくれ、

15分で書いた手紙を、式で読み上げてくれました。

「読んでる方も聞いてる方も、すごく泣いてたよ」

と、超他人事のメールをマンジロウ母がくれました。




もう少し生きて欲しかったと、やはり思うけれど

苦しみが少なく

ほぼ最後まで自分でおトイレにいき

意識もあっての最期なので、

これ以上のことはなかったと思います。

できるなら、おいらも同じように逝きたい。




最後に、届かなかった弔電をここに記したいと思います。





おばあちゃんにもらったDNAも、

思い出も

教訓も

なにひとつなくさずに

生きていきます。

おばあちゃん、

本当に、本当にありがとう。




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ばあちゃんのDNAは、あいざぁが一番継いでるよ、と身内で盛り上がったとか。



あれっ

もしかしておいら、あけおめもなしで

一月ブログ全然書かなかったの?

わお。

やっるー



えー今回の日本帰国は、ばあちゃんの癌の再発により

弟が結婚式を早め(本当は4月の予定だった)

ついでに正月も祝っちゃおう、というものです。

おいらにはもうひとつ、大きな使命がありまして。

ばあちゃんの本を出版するということ。



ばあちゃんは趣味で中国語の児童文学の翻訳をしていて

同人誌なんかに発表を続けてました。

それを一冊にまとめよう、という試み。


癌の再発を告げた医師が、

やりたいことは、すぐにしてください。

と言ったので

「じゃあ本を出したいわ」

とおばあちゃまは言ったわけ。



家族の誰もが「私は関わりたくない」と思ったので

当然、専門家のおいらのとこにお鉢がまわってくるわけです。



いいんだけどね。

おいらがいられる時間が限られてるから

結構忙しい日々。

やっぱりやめようか、おもいきってしようか、

てな相談相手に前半潰れたし。



ばあちゃんに

「本作るのって、いくらかかるか想像できる?」

と聞いてみたら

「一千万まではあるの」

と、にっこり微笑まれたので

それなら使っちゃいましょう、とおいらも覚悟を決めたのです。



あいざぁ父に

「ばあちゃん、金は持ってるから大丈夫や」

と言われたので

「一千万までいいって言われた」

と正直に報告すると

「そんなに使ったらあかん」

と真顔でたしなめられた。



おいらの知り合いのデザイナー、印刷会社に頼むことを

考えたんだけど

おいらが進行中そばにいられないので

コントロールができない。

ばあちゃんは恐ろしい程優柔不断なので

家族の誰も手を出さない。


友達なら、きっといいものを仕上げてくれるだろうが

組みやノンブルなんかまで凝るに決まってるので

時間はかかるし、確認作業も多い。


デザイナーがデザインを上げても

「どうですか?」

「ねえ、どうなのかしら」

「気になるところありますか」

「さあ、いいのか悪いのか…」

てな具合に進展しないことは目に見えている。


それに、本にするということは

校生だけでなく校閲も必要だし

原文チェックはどうする?

原作者許諾は?

って考えると友達デザイナーには荷が重い。



おいらがそばにいれば、適当なところで

ガツガツ切ってしまえるのだがなあ。

欲しいのはデザイナーではなく進行管理者。

で、思い切って、自費出版の会社に依頼することにした。


ぼったくられるのは覚悟の上。

出版させることが専門の人たちだから

すべてうまくやってくれるだろう。


ちなみにばあちゃんは今月の中旬以降、

歩き回る体力がないだろう、という医師の見立て。

癌は老体には珍しく超元気。

ばあちゃんが動けなくなっても

原稿持ってきてくれるくらいの進行管理をしてもらうため

家に近い会社を選んだ。




しかしびびったね。

自費出版の見積ってザルすぎ。

印刷料金なんて、なんの金額出してるのかわからんし。

印刷会社に明細ださせろって言っても

編集さんが「できません」って言っちゃう不思議。

料金交渉もとろいし。

やっぱ直でやればよかった。と思った。

ハードカバーを作ったことはないけど

それでも高すぎるような気がしたが

もういいや、と目を閉じてはんこを押した。



組みも字の級数も全部おいらが指定し

表紙のデザインも時間かかるから

布張りにして等々

究極に時間短縮したんだけど

ばあちゃんの原稿チェックはゆったりしたもので。



ばあちゃんが生きてる間に仕上がりますように。

でもばあちゃん、めっちゃ元気で

もりもりごはん食べてるし

結婚式のフルコース食べきったし

本当に癌なんだろうか?









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自費出版する人に参考になることがまったく書けない。






また詳しく書きますが、ひとまずご報告。

あいざぁ&ゴウは日本で元気にやってます。

が、

すしを食べに行くような暇もなく、おさんどんに駆け回り。

なーんかもう、大変な毎日です。



どうにもいかなくなって

4月から幼稚園の一時保育を申し込みます。

日本、便利。

ゴウを預かってくれる人がいなくってね~

考えてもなかった日本での幼稚園デビュー。



マンジロウ父母は預かってくれるんだけど、

送り迎えのことを考えると、ロスが大きい。

マンジロウ父が送迎を申し出てくれましたが

ゴウに追いつけないので、お断りしました。



びっくりしたのは、手術を受けたばあちゃんが

じいちゃんを無視しはじめ

周囲がひいてます。


大手術のあと、なにか心境の変化が?

もう死ぬかも、って思って

自由に生きるというスタイルがじいちゃん排除ってこと?

いやいや、

人間ってびっくりざんす。

90歳になって夫を見限るとは…


もう今更いいじゃん、って全員が思ってますが

ばあちゃんを諭すこともできず、

はらはらスリリングな毎日でございます。



とはいえ、無事退院できたので

これから、よくなってくかな??



世のお父様方、

熟年離婚を乗り越えても

まだまだ油断できませんよ。


ちなみにうちの仲良し両親も

介護をめぐって意見が対立、

非常に険悪でおいら胃が痛いです。





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こんな大変な帰省は初めてっす。















プロフィール
HN:
あいざぁ
性別:
女性
自己紹介:
ドイツ在住、細々とライター業。
海外転勤につられて、まんまと策略婚。
夫との育ちのギャップに窒息寸前。


夫:マンジロウ。日本人だがアメリカ人的思考。
息子:ゴウ。幼児。

☆☆★★☆☆☆☆☆☆

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気になる記事など自由にリンクしてください。
ご報告いただかなくても大丈夫ですが「貼りました」と連絡もらえれば、遊びに行かせてもらいます。

著作権はあいざぁにありますので、勝手な引用は禁止です。勝手なリライトはおいら泣いちゃうのでやめてください。書き直して酷い文にされることほどツライことはないです。


★★☆☆☆☆☆★★

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広告コメントはあいざぁの自分勝手な判断で削除しています。ごめんね。
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