ドイツに長く住む日本人と、日本語で話していると
「あ、今のドイツ語の直訳だ」
と思うことがある。
日本語で話しているのに、その奥にドイツ語がある。
例えば。
アメリカに長く住む日本人は
「あ、電池が死んだ」と言う。
(必ずではありません。傾向としてね)
ドイツに長く住む日本人は
「あー、電池がカラだ」と言う。
(例えばだからね。必ずじゃないからね)
日本に暮らす日本人は
「電池が切れた」と言う。
英語では「死んだ」というし
ドイツ語では「空っぽになった」という。
だから上記の表現は、日本語だけど、日本語の表現ではない。
日本人で、日本語を話していても、
他言語の影響を受けざるを得ない。
これって、なんかすごく面白い。
言語学って興味なかったけど
今大学に通ってたら、こういうことを研究したいな。
フランス語の影響下では電池はなんて表現するんだろう、
イタリア語ではどうなるんだろう。
最近の日本語が乱れているという指摘を受けるなら、
そこにこうした言語感の相互作用は存在しているんだろうか。
「日本語っぽい英語」っていうのは分かるけど
その反対の「英語っぽい日本語」を探しまくってみたいな。
おいらの日本語は、ドイツ語に流されているのかな?
ま~ そんなにドイツ語喋れないから、大丈夫か。
どうでもいいんだけど、
電池をバッテリーに置き換えると、
「バッテリーが空っぽだ」って、自然に聞こえる。
これって、電子機器の電池マークがどんどん減っていって
最後には空っぽになるのを
よく目にしてるからではなかろうか。
つくづく、言葉って生きてるわって思う。

冬時間でゴウの就寝が早くなってらくちんだわ~
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