ある日、ゴウを迎えに行ったら
朝着せたのとは違うトレーナーを着ていた。
あれ? と思うと同時に、先生が背後に立っていて
「あいざぁさん、ちょっと…。
園長室でお話があります。
ゴウ、先生と一緒にママを待ってようね」
えええええ?
な、なんだろう。
ゴウ、着替えてたってことは、汚した・濡らしたってことよね。
他の子を巻き込んじゃった?
どちらかというと巻き込まれるタイプなんだけど
やるときゃやるよね、子供だもん。
ありゃりゃ~
困ったわ~
どうしよう~
と、園長室に向かった。
園長先生は、いつもの優しい笑顔だった。
机にはゴウのトレーナー…。
濡れても汚れてもいない。
はい、この時点で気づきました。
このトレーナーに問題があるのだと。
でも、それが何なのかまでは、わからなかった。
園長先生は、困ったような微笑みで
「この服を、なんらかの信念によって着せましたか?」
と聞いた。
信念?
そのトレーナーは、マンジロウ父の貢物である。
日本で売っている、厚手のトレーナーだ。
ただ、絵柄が、戦闘機なのだ。
見るからに、古い、世界大戦中の飛行機で
一目見ただけで、おいらはいやな気分になった。
傍らにはゴウがおり、
それを隠す暇はなかった。
ゴウはその飛行機をとてもとても気に入った。
なにかというと、そのトレーナーを着たがった。
一日家にいるような日は、
そのトレーナーを着せた。
けれど、その日の朝はゴウがどうしてもこのトレーナーを着ると言い
幼稚園へ早く送り届けたいおいらは
「もういいや」な気分になって、着せたのだ。
そのトレーナーをあまり好きではないというのは
おいらの個人的な感覚で
子供や、他の大人にしたって
男の子が戦闘機のトレーナーを着ていたからといって
気分を害するというほどのものではないだろう。
いやしかし、子供に戦闘機ってどうなのよ。
テレビで内戦の報道を見るだけで
明らかに動揺するゴウに
そんなものを着せるなんて
母親としては、苦痛なのだ。
しかし今はそういうことが問題なのではない。
なぜにおいらは園長室に呼び出されてるのか?
戦闘機のトレーナーを着せたから?
まさか。
「あいざぁさん、あなたは日本人だから
このマークの意味をご存知ないんでしょうか」
園長先生がたたんであるトレーナーを広げ
その尾翼に描かれた
鉤十字を指差した。
か、鉤十字っっっっ?
えーーーーーーーーーーーーーーー!!!
「知りませんでした! このマークは知ってるけど
ここについてるって、知りませんでした!
ごめんなさいっ!」
必死で謝り倒すおいら。
知らなかった知らなかったと連呼してしまうくらい
激しく動揺。
園長先生はほっとした顔をして
「だったらいいんですよ、
知っていて、着させているのかと。
知らないんだろう、とは思ったんですけどね、
知っているかもしれないし」
と言ってくれた。
そうですそうです、知らなかったんです。
「このマークは、ドイツでは使ってはならないんです」
「知ってます知ってます知ってます。
本当にごめんなさい。
細部まで見ていなかったんです。
今ならはっきり見えるけれど、今まで気付かなかったんです」
人間、慌てると何度も同じことを言う。
「この飛行機がドイツ製だということも知りませんでした。
ゴウの祖父が送ってくれたんです。
日本の製品なんです」
「そうでしょうね、ドイツ製ならこのマークは消えています。
でも、だからこそ、あえてこれを着せているなら
問題があると思って、お話したかったんです。
よかった、これで全て終わりです。
このマークは、なにかで隠してくださいね」
「えっ、いいえ、
だってこれを隠しても、
ここにこのマークがあるって、もう皆さんご存知ですよね」
「いいですよ、気にしません。
マークが悪いのではないんです。
思想が悪いんです。
あなたにその思想はなく
ドイツの考え方を尊重しようとしている。
だから問題ありません。
ここは何かで隠して。
ゴウはこの服が好きなんでしょう?」
なんていうのかしら、こういうの大岡裁きっていうの?
罪を憎んで人を憎まずみたいな?
めっちゃほっとしたー。
このマークを公けに晒すのって
ドイツでは犯罪。
通報されてても文句は言えないわけで。
よかった…。
以前、日本製品には意外とついているので
ドイツ滞在中は鉤十字に気をつけるよう、
何かで読んだか誰かに言われたか、した。
でもおいらはコスプレなんかしたことないし
知らずにそのマークを身につけるはずがないと
思い込んでいた。
意外に付いてる、とはいっても
普通に暮らしていて、付くわけないじゃん、と。
ところが見事についてたわ。びっくり。
いや、びっくりどころじゃ済まない話だった。
で、家に帰ってまた一難。
ゴウに、説明をせずにワッペンをつけるか、
ちゃんと説明するべきか
悩んだ末、おいらは話をした。
「このマークは悪いマークだから、これでフタしようね」
いやだ、とごねるかと思いきや
意外な方向から反論が。
「これはじいちゃがくれたんでしょう。
じいちゃが悪いマークをくれたの?」
3歳児というのは、恐ろしく「大人」だ。
自分を愛してくれてる「じいちゃ」が
自分に悪いものをくれるはずがない。
そういう思考がもうすでにできるのだ。
「じいちゃは日本人だからね、
日本ではフタしなくてもいいの。
悪いマークだけど、そこについててもいいの。
でもドイツでは見せちゃいけないの。
ドイツの人はこのマークが嫌いなの。
ひとが嫌がることを、しちゃいけないね。
みんなが悲しくなっちゃうんだよ。
このトレーナーを捨てるか
フタをするか、どっちかよ」
ゴウは泣き出した。
「じいちゃはゴウに悪いマークくれたの?」
おうおう、と顔を覆って泣き出した。
「違うよ、ゴウ、じいちゃはゴウが喜ぶと思って
送ってくれたんだよ」
きっとゴウはおいらが呼び出されるのを見て
不安になっていたんだろう。
それが吹き出したんだ。
おいらはゴウを抱きしめて
ゆらゆら揺らしながら
どうして人は戦争なんかするんだろう、と思った。
こんなに傷つきやすいのに、
どうして傷つけようとするんだろう。
ゴウと一緒に、ワッペンをつけた。
もう着ないと言うかと思ったら、
今朝、それを着て幼稚園にいくと言った。
トレーナーを隠すべきだとマンジロウは言ったが
おいらはゴウに任せようと、
いつもと同じタンスに入れていて
それを今朝ゴウが引っ張り出したのだ。
幼稚園に迎えに行くと
先生が「とってもいいワッペンがついたわね」と
声をかけてくれた。
つけたのは、四葉のクローバーだった。
「あなたが気分を害さないといいんだけど」
と言うと
「ゴウは今朝、私にワッペンを見せて
悪いマークはなくなったよ。
先生、もう悲しくない? って聞いたのよ。
ああ、とってもかわいかったわ」
と笑ってくれた。
ありがとうございます、と言いかけて
泣きそうになってしまった。
マークに気付かなかったおいらが一番悪い。
そして、一番勉強させてもらった。
男の子をお持ちのお母様、どうかお気を付けください。
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