前回の「やっぱ本を読むのがいいんだろう」という
目新しさもなにもない結論に達した、文章上達法。
いただいたコメント読んでて
「そういや大事なことわすれてた」
と、前回の記事は何だったのかという話の展開。
おいらの、二年生の時の担任が詩人で
やっぱり絵本しか読めないおいらを心配したのと、
おいらが登校拒否を起こしたのと
先生あのね帳に物語を書き連ねる異常性を危惧したのとで
彼女はおいらに、物語をあのね帳ではなく
別に書いてくるように言った。
そこから、おいらと彼女の長い交流が始まった。
4年生の時、彼女が他校に赴任しても
おいらは物語を郵送し続けた。
おいらの書く物語は稚拙で、
読むに耐えないものばかりだったが
彼女は根気強く読み、感想をくれた。
おいらが様々な小説を読み出した頃、
「彼女は真珠のような涙を流した」
と書いた。
言うまでもなく、パクリである。
でも彼女はその部分にわざわざ線をひき
花マルをつけてくれた。
当時はそれがいい文章なのだと嬉しく思ったが
今ならわかる。
模倣こそが文章上達の近道。
模倣を始めたことを、彼女は賞賛したのだ。
この迷惑な行為は中学にはいるまで続いた。
彼女には本当にお世話になったというのに
もうどこでなにをしているのかもわからない。
先生、本当にありがとう。
結婚するまで生きてこられたのは先生のおかげです。
貧乏だけど生きていけるだけ稼がせてもらいました。
つまり。
本を読むのはインプット。
書くのがアウトプット。
「うちの子本の虫だけど、文章書くのはイマイチ」
といろんな方がコメントくださったが、
それこそアウトプット不足だ。
なるほどねー。
盲点だったわー。
アウトプットかあ。
さてこれをゴウに応用するにはだ。
む、難しい…。
だって、子供なんて作文とか嫌いだしさ
どうやって文章を書かせればいいんだろう?
先生のように添削そのものはできるとしても、
真珠の涙なんて書かれたら、
おいら思いっきりバツつけちゃいそう。
その年の、発達段階とか考えられない。
書くのが好きというか
おいらは書くしか当時自己表現できなくて
とても自然に書いていたわけなんだけど
これはもう持って生まれたもんだよね。
うん、ゴウに応用するのは無理だな。
思い返すとかなり異常だった幼少期、まともに育ったなあ、おいら。
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