小学1年生になった時、同じクラスのなおこちゃんと友達になった。
家が近かったので、いつも一緒に登下校した。
なおこちゃんはとても静かな子で、
勉強ができるわけでも、運動ができるわけでもなく
ただひたすらに穏やかで、はかなげだった。
長い黒髪を、美しく編み込んでいたなおこちゃん。
おいらは、生まれながらにがさつだったので
なおこちゃんのたおやかさは、いつも憧れだった。
ある日、終わりの会で、なおこちゃんはトイレが間に合わず
教室でおしっこを漏らしてしまった。
おいらは汚いと思わなかった。
なおこちゃんが、かわいそうでしかたなかった。
おいらはおもらしのことを、誰にも話さなかった。
なおこちゃんを守りたかったというのもあるが
それより「こういうことって、あるよね」と思っていた。
小学1年生にとって、
おもらしやおねしょというのは、
さほど遠い記憶ではない。
おいらはなおこちゃんとずっと一緒に登下校したが
なおこちゃんにおもしろみを感じなくなっていった。
4年生の時に、違う子と一緒に学校へいくことにした。
彼女はとてもおもしろかった。
なおこちゃんのように、あいまいな頷きや、
オチのない話をすることがなかった。
登下校に、なおこちゃんを誘わなかった。
それだけで、おいらたちは絆がすっぱり切れたように
まったく遊ばなくなってしまった。
なおこちゃんとは、同じ中学に進んだが、
顔をあわせれば親しげに話すことはあっても
特別な打ち明け話をすることはなかった。
もし、彼女と親しいままでいたとしても、
なにかを告白するようなことは、なかった気がする。
彼女のあいづちはいつも曖昧で
告白に際してこちら側がもつ興奮を打ち消してしまうのだった。
おいらは誰が好きだとか、誰が誰を好きだとか、
誰が誰をいじめているだとか、そういう類の話において。
いつだったか、なおこちゃんとぎすぎすしたことがある。
たしか小学生だった。
一緒の登下校をやめた余波だったのだろうか。
コウモリみたいな女の子が
なおこちゃんがおいらの悪口を言っていると告げてきた。
おいらは、咄嗟に、「おいらはなおこちゃんの弱味を知ってる」と思った。
そしてコウモリちゃんに、
なおこちゃんが昔おもらししたことを、ばらした。
今から思うと、あほらしい話である。
6歳のこどもの失敗を、弱味と思う発想がわからない。
しかしおいらは、「してやったり」と思ったわけだ。
うん、そう、昔から性格が悪かった。
しかしコウモリちゃんは、意外なことを言った。
「それ、なおこちゃんは、あいざぁがおもらししたって、言ってたよ」
わけがわからなかった。
一瞬、こんなゲスな話をするおいらに腹を立てたコウモリちゃんが
機転をきかした返事をしたのかと思ったが
コウモリちゃんはあまり機転がきくタイプではなかった。
おいらは、「ほう」と思った。
とてもいろいろな事を思った。
「おいらがおもらししたって広まったら困るな」とか
「なおこちゃん、おもらしのこと、覚えてたんだ」とか
「なおこちゃん、ずっと気にしてたんだ」とか
「おいらがいいふらすのが怖くて、予防線をはったんだ」とか
「いやマジで記憶のすり替えが起こって、
本気でおいらがやったと思ってたらどうしよう」とか
考えた。
でも、なおこちゃんを非難する気持ちは起こらなかった。
おもらしのことを人に言ったおいらが悪いのだと
それくらいはわかった。
怖いんだろうな、なおこちゃん。
おいらはなおこちゃんを裏切ってしまった気がした。
おいらはコウモリちゃんに
「いや、おいらはしてないよ」とはいったが、
それ以外、もう誰にもおもらしの話はしなかった。
あの時、自分の中で、
なおこちゃんに対する気持ちが、
すとんと、ある形の中にはまった気がする。
うまく言えないが、「殿堂入り」みたいな。
他の子とは別、みたいな。
なおこちゃんとおいらは、別になんの山場もなく
また前の通りの、平穏な関係に戻った。
好きだけど、特別好きってわけではない、という程度の。
殿堂入りだけど、
しょっちゅうその額入り写真を見るわけではない、という程度の。
しかしおいらたちは、小学校に入って初めての友人だった。
本人よりも、母親にとって、それは重要な事実だった。
おいらたちの母親は、今になっても親しく情報交換をしている。
その縁で、今回の日本帰国時に、なおこちゃんに逢った。
久々に、そう、15年ぶりくらいに逢うなおこちゃんは、
テレビの画面表示を間違えたのかと思うくらい横長で
美しかった黒髪も手入れされておらず
古臭いメガネをかけていた。
はっきり言って、びびった。
美少女とはいわずとも、あの少し物憂げな、大人びた彼女が
すっかり育児疲れした様相。
なんと3人の子持ちだ。
でも、なおこちゃんには、昔にはなかったはつらつさがあった。
よく笑い、おばちゃんのとんちんかんな話に、
大きな舌打ちまでした。
小学校時代の同級生の情報に詳しく
誰が離婚して、誰がどこで働いていて、誰がうつ病か、
丁寧に教えてくれた。
それがめちゃくちゃおもしろかった。
内容も興味深いが、
彼女の話術が巧みだった。
そこにいるのは、電車で乗り合わせたら飴玉をくれるような、
由緒正しい大阪のおばちゃんだった。
関西の人間なら、誰でも疑問に思う。
「大阪のおばちゃんって、どこから発生するんだろう?」と。
大阪のおばちゃんと呼ばれる人種は、
あまりにも個性的で、常識からかけ離れており
(普通に虎のリアル絵のTシャツを着てたりする)
そしてめちゃくちゃ面白い。
しかし周囲を見渡しても、自分の友達の中に、
将来大阪のおばちゃんになりそうな子はいないのだ。
素質がある子はいても、
そこからどうすれば、あの域まで達するのか、想像できない。
ところがここに、
素質なんて片鱗もなかった大阪のおばちゃんがいる。
最初は、なおこちゃんの表面的な変化(体重増加とか容貌とか)に
圧倒されたというよりガッカリしたおいらだったが
そのおもしろさたるや、もう病みつきである。
聞いてもないのに、どの先生がどんな不祥事を起こしたか
事細かに教えてくれる。
ああ、どうしておいらは、
彼女とずっと友達でいなかったのだろう。
大阪のおばちゃんが生み出される瞬間を
見逃してしまったなんて。
悔やみきれない。
はつらつと噂話をする彼女は
とてもすてきだった。
昔のなおこちゃんもすてきだったけれど。
おいらは今回なおこちゃんに「セレブやな!」と言われ続けたが
やはり昔とは随分違って見えてるのかもしれない。
願わくば「めっちゃおもろなったなあ」と思われていたいものである。

今日、ゴウに駐車場でおもらしされ、この話を書きました。
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