おいらは、ひいばちゃんが大好きだった。
7才まで同居だったので (その後うちの両親がマンションを買って別居)
ひいばあちゃんがメインでおいらを育ててくれたような感じだった。
家で商売してると、両親祖父母みんな忙しいから。
別居してからも、おいらはひいばあちゃんが大好きで
なにかといえば顔を出し、一緒に時間を過ごした。
ひいばあちゃんは手芸が趣味で、
暗い部屋で一日中時代劇をうつすテレビを前に
こつこつ作品を作っていた。
おいらはそれを見てるだけで楽しかった。
おいらが嫁に行くときには、この花嫁人形作ってね、と言って
そんなには生きられないと笑われた。
ひいばあちゃんがいつか死ぬかもしれない、と考えるのは
おいらにはとても怖いことだった。
ひいばあちゃんはいつも「今年で桜はおわりやな」と
死を予言しては生き延びていた。
それでも予言をやめないので
怖くても、逃げられない問題だった。
おいらの高校はひいばあちゃん家に近いところだった。
おいらは、進学にあたり、
毎日ばあちゃんに顔を見せることを決めた。
どんなに忙しい日でも
テスト週間でも、
必ず顔を出して、ちょっとだけでも話をする。
時間があれば、一緒におやつを食べる。
それが自分にできる最良のことだと思ったし
そうすれば
いつかひいばあちゃんが死ぬ日がきても
おいらは後悔せずにすむと思った。
3年間、おいらはこれをやり遂げた。
20才の時、ひいばあちゃんが死んだ。
あれだけ毎日逢って笑って過ごしたのに
おいらはやっぱり後悔した。
もっと一緒にいられたんじゃないか、
もっともっとなにかできたんじゃないか。
20年も一緒にいたのに。
なぜこれだけのことしかできなかったんだろう。
これは、
ひいおばあちゃんがおいらに教えてくれた
一番大切な真理だ。
人は死ぬ。
どんなに大切な人でも。
どれだけ後悔がないように接しても
足りることはない。
大切な人には、心を尽くすこと。
言葉を尽くし、伝えること。
おいらは、ひいおばあちゃんに、
大好きだと伝えたことがあったろうか。
きっとわかってくれていた。
でも、言えば、喜んでくれたはずだ。
死んでからどれほど後悔しても意味はない。
生きているうちに、なにができるのか。
ばあちゃんに癌が見つかった。
おそらく末期。
ひいばあちゃんの娘である、このばあちゃんは
おいらにとって、とても大切な人だ。
日本に帰ることに迷いはなかった。
というわけで、日本にしばらく帰ります。
更新がどうなるかは未定。

とりあえず、ゴウがいればみんな幸せ
PR