弟が結婚することになった。
おいらの弟は、よくできた子で
京大院卒後、大手シンクタンクに入社、
自らの被災経験から、都市計画に関わり
行政と共にプロジェクトを進め
災害が起こるたびに、必要なシステムを構築している。
例えば義援金の配布構造であったり
必要なところにボランティアを派遣するシステムだったり。
震災関係だけでなく、
国家行政に関わるようなプロジェクトを抱え
日本中を飛び回り、
睡眠時間の確保さえ難しい状況で
癌を患う祖母に最低でも2ヶ月に一度は顔を見せにくるという
おいらが言うのもなんだが
本当によくできた子なのだ。
もちろん高給取りで、
ゴウにも高いおもちゃを買ってくれる。
背も高く、顔も良く、派手な性格でもない。
こんな男を射止めるのは、どんな女性だろうかと
思っていたら。
いやまあびっくり、
芦屋の医者家系の超お嬢様だった。
えええ? そこ?
っておいら思っちゃった。
だって、そこは行かなくて良くない?
そこは家柄もよく、あんまし働かなくてもいいおぼっちゃまとか
医者男子とかに任せておくべきじゃない?
あんたは、同じくばりばり仕事して
一緒に志高く生きていく女性がいいんじゃないの?
と、姉なんかは夢想しておりましたが。
お嬢様なんだよねえ、選んだのは。
実はもう2-3年付き合ってて
おいらも帰国する度に逢わされていたので
結婚するのかなあとは思ってたんだけども。
しかも出会いは、弟が学生時代バイトしてた、
予備校の現役生コースの女の子。
彼女が弟に恋したらしいのだが
その時は弟に恋人がいて、
なんだかんだで、就職後に再会して
お付き合いすることになったらしい。
合コンとかじゃないんだね、さすがお嬢様。
このお嬢様、家庭環境が少々複雑で
お母様が一切炊事をなさらない。
ご飯は外食かお惣菜なんだそうだ。
弟から初めて聞いた彼女の話は
「新しい彼女に初めてごはんを作ってもらったら
ケチャップをお湯にとかして
はい、トマトスープって言われたんだ。
ギャグかと思ったら、
彼女はそれを飲んで
おいしい、ってにっこり笑ったから
ああ、これは…と思ってさー」
というものだった。
弟は自分で料理をする。
手作りの料理、というものを非常に重視してる。
だから、この彼女とは長続きしないだろうな、と
思っていたのだ。
弟は料理が好きで堪らないというわけではないので
家事の分担として料理をすることはできても
全て担うことは難しいだろう(勤務時間からも)。
結婚相手は、
ある程度、炊事を含む家事ができないと、難しい。
そもそも手料理を食べたことがない上に
味覚音痴の女の子って
お嬢様と呼べるのかしら。
お嬢様という人種に含まれるべき
大切な要素が抜け落ちてないか?
と、おいらは思っていたのだが
やはりお嬢様というのはすごい。
本当にすごい。
弟に「それは料理ではない」と指摘され、
すぐさま料理教室に通い、
どんどん上達していった。
弟を追って、大学卒業後は東京に就職。
そのタイミングで親に紹介。
けれど同棲はせず、
近所恋愛をしながら、
弟に頻繁にお弁当を作り続けた。
忙しくてなかなかゆっくり会えないが、
弟は、お弁当を食べるたび、
彼女の料理の上達と自分への愛情を噛み締め
今回の結婚に至ったわけである。
ポイントはここだ。
料理ができなかった子が
自分のために、料理ができるようになった。
指摘されて腐ることもなく
地道に努力を続けてくれた。
しかも献身的に。
ここにお嬢様っぽい素直さを見るのは
おいらだけだろうか?
そっかー、こういうのが男を射止めるんだ。
おいら、間違えてた。
おいしいご飯作ってりゃいいと思ってた。
その上がいるんだね、
最初は下手でも、自分のために努力した結果のご飯には
かなわないんだ。
そっかーだからおいら、たいした男を捕まえられなかったんだ。
あー残念。
それがわかってりゃ、もっと違った人生だったかも。
あ、ちなみに
ケチャップスープは彼女が22歳の時だそうです。
30歳後半じゃあ、もうおいら使えない技だわ。
あと、お嬢様はスカートしかお履きになりませんことよ。
いつ逢っても膝丈スカート。
ズボンは滅多にお召にならないとか。
和泉元彌氏のお母様もおっしゃってました、
女はズボンを履いたら終わりだと。
体の捌き方に品がなくなるんですって。
年に1回くらいしかスカート履かないおいらには
関係ない世界ですなあ。
お嬢様と呼ばれる家庭に憧れてたが、それはそれで大変みたい。
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