ゴウを妊娠中、日本ではちょうど、子供の心臓移植についての
法案改正が行われた。
時を同じくして、
心臓移植が必要な男の子の、募金活動も行われていた。
繁華街なんかで、募金活動を何度も見かけた。
その度に、
ボランティアの方が
「カモだ!」
ぐらいの勢いで、おいらのところに早足でやってきた。
もちろん彼らはカモだなんて思ってない。
思っていたのは
「妊娠中であれば、このおやごさんの気持ちが理解できるだろう
わずかでも、募金してくれるのではないだろうか」
ということだ。
結果から言うと、おいらはいつも、その駆け足を見ると逃げ出した。
募金や寄付というものに慣れないことに加え、
どんな状況にせよ、狙われるのは好ましくない。
当時、妊娠中、
もちろんおいらは子供が欲しくてたまらないわけではなかったが
妊娠そのものは受け入れ
子供の誕生を楽しみにしていた。
でも、無償の愛とか、母性の実感は全くなかった。
大丈夫なのかって自分で思うくらい。
報道で心臓移植のことを知って、こう思った。
親類縁者から金をかき集め、
自分自身も生活が行き詰るくらい金を出し、
見ず知らずの人々に慈悲を請い、
何億もを用意して、
自分の子供に心臓を移植することは、おいらにはできない。
心臓を貰った子供は、生き延びることはできても
一生薬漬けで、
数多くの制約の中、生きていかなくちゃいけない。
おいらは、静かに運命を受け入れる道を選ぶ。
これって、母性がないってことだよな。
と、思ってたわけ。
ゴウが生まれても、その気持ちは変わらなかった。
でも最近、思う。
もしゴウに移植しなければならないような病気が見つかったら
これも運命なんていえるだろうか?
溺愛とか、甘やかすっていうのとは違うけど、
人生の一部なんだよね。
それを取り上げられるなんて、受け入れられるだろうか?
自分が海外での移植を選ぶかどうかは、
やっぱりまだ、選ばない気がするのだけれど、
その切実さは、理解できるようになってきた。
今更なんだけど、
募金しときゃよかったな。って
思ってしまう今日この頃。
といっても小銭程度ですが。
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