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お育ちのいい夫にてこずる妻日記。エコだったり毒舌だったり。

2024-05

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ゴウを妊娠中、日本ではちょうど、子供の心臓移植についての

法案改正が行われた。

時を同じくして、

心臓移植が必要な男の子の、募金活動も行われていた。



繁華街なんかで、募金活動を何度も見かけた。

その度に、

ボランティアの方が

「カモだ!」


ぐらいの勢いで、おいらのところに早足でやってきた。


もちろん彼らはカモだなんて思ってない。

思っていたのは

「妊娠中であれば、このおやごさんの気持ちが理解できるだろう

わずかでも、募金してくれるのではないだろうか」

ということだ。



結果から言うと、おいらはいつも、その駆け足を見ると逃げ出した。

募金や寄付というものに慣れないことに加え、

どんな状況にせよ、狙われるのは好ましくない。



当時、妊娠中、

もちろんおいらは子供が欲しくてたまらないわけではなかったが

妊娠そのものは受け入れ

子供の誕生を楽しみにしていた。


でも、無償の愛とか、母性の実感は全くなかった。

大丈夫なのかって自分で思うくらい。


報道で心臓移植のことを知って、こう思った。


親類縁者から金をかき集め、

自分自身も生活が行き詰るくらい金を出し、

見ず知らずの人々に慈悲を請い、

何億もを用意して、

自分の子供に心臓を移植することは、おいらにはできない。


心臓を貰った子供は、生き延びることはできても

一生薬漬けで、

数多くの制約の中、生きていかなくちゃいけない。


おいらは、静かに運命を受け入れる道を選ぶ。



これって、母性がないってことだよな。

と、思ってたわけ。




ゴウが生まれても、その気持ちは変わらなかった。


でも最近、思う。


もしゴウに移植しなければならないような病気が見つかったら

これも運命なんていえるだろうか?



溺愛とか、甘やかすっていうのとは違うけど、

人生の一部なんだよね。


それを取り上げられるなんて、受け入れられるだろうか?


自分が海外での移植を選ぶかどうかは、

やっぱりまだ、選ばない気がするのだけれど、

その切実さは、理解できるようになってきた。



今更なんだけど、

募金しときゃよかったな。って

思ってしまう今日この頃。






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無題
私も子供がいるから、自分の子供に起きたら・・・といつも思います。でも、誰かの死を待って自分の子供が生きるって、どうなの?って思います。もしかして、亡くなる子供さんは、お金を集めてあげられなかった子供だったとしたら?でも、それもそういう星の下に産まれた運命なんでしょうか?無駄になるなら、移植されたほうがいいかもしれません。
自分の子供がもし・・・。もちろん、ただ受け入れたりはしないし、自分ができる限りの努力はします。自分の臓器をあげてなんとかなるなら、自分は死んだってかまいません。だけどいつもこういう話題をきくと、いまは触れてはならない、いじってはならないところに進み過ぎてしまっているのではないかしら、と思ってしまうのです。難しいですね。自分が客観的に考えているのとは、当事者になったら絶対違う考えが浮かんでくるでしょうから、何とも言えないです。今の立場ででしか。
kaetzchen 2009/12/07(Mon)22:54:36 編集
わかる!
そうなんですよ、結局、客観的な感想と当事者の気持ちって、かけ離れちゃうと思うんですよね。そこがうまくいかないというか…。触れちゃいけない領域っていうの、おいらもなんだか感じます。でも自分の子供となると、そうはいってられないですよね、きっと。
【2009/12/10 17:15】
こんばんは!
久し振りのコメントです。

移植するしないは考えたくない事ですね…

夫とたまに「もし子供が…」と言う話をする事がありますが、どう考えてもその親の気持ちが分からないし、実際にその立場になってみると、全然違う選択をしてるのかもしれないし…

私は受け入れる事が出来るかなぁ?必死でしがみついて、お金を掻き集めてるかなぁ?

どっちだろう…
ten URL 2009/12/08(Tue)22:13:45 編集
おひさしぶりです
あの募金箱がね~
未だになんか、思い出しちゃうんですよね。
【2009/12/10 17:17】
子どもを持ってかわること
子どもを実際に持つと、感じ方・考え方が変わることってありますよね。
よく「相手の立場にたって考えてみよ」と言いますが、実際にそういう立場にたたないと分からないことってあるんだなぁと日々実感しています。
推理小説で「子供を昔亡くしていて」と書いてあるだけで泣けるようになるなんて、自分でも自分が信じられません(苦笑)。
ちょび URL 2009/12/08(Tue)23:14:34 編集
おお
そこまでいくのですね。推理小説もおちおち読めませんな。おいらもそういうふうになっていくこと、請け合いです。
【2009/12/10 17:18】
募金はしますが・・・
私は募金を見かけるとわりとするほうです。
でもそれは決して慈悲とか相手の事を想いではなく、
こういう方々がいるから社会的にバランスがとれているのではないか?という勝手な思い込みから。

「彼らが病気と戦っているから、私達は元気でいることが出来る」という感覚でいる。
だからボランティアの人や家族には「頑張って!」
と言えるけど、
「じゃあ明日からあなたもボランティアをして」と言われたとしたら・・・逃げるだろうなぁ。

その証拠にティッシュ配りや街頭アンケートの記入は
ことごとく無視して逃げるから。
坊やママン♪ 2009/12/09(Wed)13:30:31 編集
それはいい
その発想は、なかったなあ!でもそう考えると、募金に抵抗がなくなる。いい考えだ!
【2009/12/10 17:19】
無題
私も同じ
自分が親という同じ立場になって、分かる事って沢山ある事に気づいたし、頭の中で考え事と気持ちが同じではない事もある事に気づかされた事が一杯ある
子供を亡くした親の話を聞くと自分も涙を流してしまうし、子供を殺した事件が起きると悲しくて涙を流してしまう、良かった話は、ほっとして涙を流してしまう・・これって単なる歳をとっただけなのか…?
こま 2009/12/10(Thu)16:19:22 編集
まあねー
歳をとると涙もろくなるともいいますが。
やっぱ子供がいるからじゃないかな。なんちゅうか、自分以外のことで、こんなに一生懸命になる(ならされる)ことは初めてだもん。
【2009/12/10 17:23】
これも一部です
私は、そういう募金はしません。
大地震の義援金とか、自分から「偽善でもいいからしよう」と思った時にだけ振込みに行きます。

私財を出さず、今の生活レベルを維持したまま、
募金だけで移植をしようとする方達もいます。
資金が足りなくて、手術に到らなければ
その募金は返還する事はムリですよね。
どこか、別のご家族に渡ればいいと思いますが、実際はどうなのでしょうか?
ほんの一部でしょうが、他の同じようなご家族にとってはいい迷惑でしょうね・・。
http://news.livedoor.com/article/detail/3404873/
なおび 2009/12/16(Wed)11:24:25 編集
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プロフィール
HN:
あいざぁ
性別:
女性
自己紹介:
ドイツ在住、細々とライター業。
海外転勤につられて、まんまと策略婚。
夫との育ちのギャップに窒息寸前。


夫:マンジロウ。日本人だがアメリカ人的思考。
息子:ゴウ。幼児。

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